新潟県燕市でいちごを育てて20年。斉藤いちご園の物語

 

 

あなたにいちごを通して「しあわせ」をお届けしたい。
美味しいものを食べる最高の時間を、あなたのもとへ届けます。

 

こんにちは

斉藤いちご園代表の斉藤満です。

私たちは新潟県の燕市で、代々農業をしてきました。とは言ってもお米を作ってるだけのどこにでもいる農家です。

  

2021年で私が農業に携わってから約50年、

いちご作りを始めて20年になります。

 

今でこそ県内外からいちご目当てでお客様が訪れる観光農園となり、
令和2年はいちご園として農林水産大臣賞も受賞いたしましたが、

 

先程申し上げました通り、私は元々は単なる米農家で、

実はいちご作りは素人同然からのスタートだったのです。

 

リストラによって突如訪れた転機

 

私は農家の長男として生まれ、20歳頃から農業に携わっていますが、
1年中農家の仕事がある訳ではないので、

普段は地元の金属加工会社に勤めるいわゆる兼業農家でした。

 

私の住む新潟県の燕三条地域は

洋食器やキッチン用品をはじめ金属加工業が有名で、 燕三条ブランドとして認知されておりますが

2000年頃は平成不況真っ只中

そのあおりを受けて当時地元の会社がバタバタと倒産していました。

 

私の勤める会社もリストラが行われ、
兼業農家で田植えなどで会社を休まなければいけない私のような社員は真っ先にその対象となりました。

 

当時私は50歳を迎えたところでしたが、
突然この先どうするか岐路に立たされました。

 

おそらく今からの再就職は困難
アルバイトで働く所を探すのも難しい

かといって農家だけで生計が立てられるか分からない...

 

それに勤めてた頃は、このまま農業をやりつつ定年まで働いて、その後も元気な限りは農業を続けてくんだろうと思ってたので、

農業1本でやってく選択肢は私の中にありませんでした。

 

平穏だった日々の中、

人生最大のピンチに直面したワケですが

不安の中で考え抜いた末

私は農業1本でやっていく決心をしました。

 

それから激動の日々が始まります。

  

下心がきっかけだったいちご作り

 

この先、生活していくには

米作り以外で生計を立てる必要がありました。

 

そんな作物あるだろうか...

あるならとっくに育ててたはず

 

しかしそんな事言ってる状況ではないので、
色々調べてみたり

農協の方に相談したりする中

  

安定した生活のためには
地域で育てて販売してる農家が多いという事で

「トマト」が候補にあがりました。

 

でも私は「トマトかぁ」という感じで

あまり気乗りしませんでした。

  

ふいに農協の方に
「収入抜きに自分が育ててみたいものは無いか考えてみたら?」

と言われ

  

確かにそうだ、今までの私の人生は
農家は長男が継ぐという逆らえない運命があり、ある意味決められた人生を歩んできた。

 

そして家族のためというのが最優先で、

自分のやりたい事をやるなんて考えた事も無かった。

もし農家じゃなかったら旅行の添乗員をやりたかったけど、それはとっくの昔に封印した。

  

「自分がやってみたい事ってなんだろう」

 

と、自分と真剣に向き合い
昔から好きだったいちご作りに挑戦してみようと思い立ちました。

 

実際はそんなカッコいいものではなく

「そういえば昔から好きだったから
いちごを作ってみるのはどうだろう

自分で作ったらいっぱい食べれるし」

 

という下心があったのも正直な気持ちなんですけどね(^^; 

 

所詮は素人。考えが甘かった

 

これでも20歳から農業やってきたんだから
「いちご位かんたんに育てられるだろう」

と思ってましたが 、早速考えが甘かった事に気付かされます。

  

冒頭でも言いましたが、

私は米作りだけをやってた人間。


それがいちごを作るという事は、言うなれば野球選手がこれからサッカー選手を目指すようなもの。

スポーツという括りでは一緒でも、

やり方も道具も会場などの環境も全く違います。

それと同じように、米といちごでは
作物を育てるという点が一緒なだけで、

あとは全く別物なのです。

 

何から始めたらいいか分からないけど、

まずは道具や環境を用意する必要がありました。

 

この時にいちご用のハウス(特に雪国用)は非常に高額で、借金をしなければ建てられないという現実と

いちごは収穫できるまで、最初は1年半もの歳月がかかる事を知ります。

  

この時点でくじけそうになりましたが、更に

 

燕でいちごなんてムリ。誰も作ってない

 

あなたはいちごの有名産地と聞いてどこが思い浮かびますか?

 

おそらく「とちおとめ」や「あまおう」で有名な栃木、福岡などが思い浮かぶと思います。

 

実際私もそうでしたし、私の家族もそう思っていました。

 

新潟でいちごって採れるの??
新潟県産のいちごなんてあるの?

って思いますよね。

 

だから私もいちごを作ると決めて

農協の方に真っ先に言われました

 

「この辺でいちごなんてムリだよ
誰も作ってる農家いないし」

 

元々いちごは寒冷地での栽培に適しておらず
暖かい場所での栽培が向いています。

 

しかし新潟県といえば雪国で、
特に冬場は毎日天気が悪く寒いです。

「こんな場所でいちご作れないだろう」

って思うのが普通なので
それゆえ新潟はいちご農家が少なく、

私の住む地域には1軒もいませんでした。

  

つまりいちごを作ろうと思ったはいいけど
教えてくれる人や実践してる人が誰もいない

という状況だったのです。

 

それでも私はやってみたい

という気持ちが抑えきれなくなっていました。


うまくいくか分からないし
ましてや生計が立つのかなんてもっと分からない。

でも挑戦してみたい

 
色々調べる中、
新潟でいちごを作るのであれあば
「越後姫」といういちごを栽培するらしい

という事が分かり

 

そういう事であれば
ひとまず越後姫を作ってみようじゃないか
と思い、こうして私の越後姫作りは始まりました。

越後姫について

 

孤独で先の見えないいちご作り 

  

教わる人がいないので、私は新潟県が出している
越後姫作りの教科書のような物があったので

それを見ながら独学でいちご作りをすすめていきました。

 

 

 

これが本当に大変でした。

 

想像してみてください...

例えば車の運転は、教官が横で教えてくれ
実際に運転して身についたものだと思います。

学科だけやってもきっと運転はできませんよね?

 

スポーツもやり方やルールだけ学んでも

実際に体を動かさないと身につきません。

 

いちご作りもそれと同じで、
ただ教科書で勉強するよりも、

現場での実践が何より重要です。

  

そして教えてくれる人がいないというのは
自分のやり方がこれで合ってるのか
全く分からないという事です。

  

暗闇の中、出口の見えないトンネルを
進んでいるような感覚で、

何度も心が折れそうになったりしましたが

そんな中で1つの出会いがありました。

 

いちご作りの名人

 

ある日、いちご不毛の地、
新潟県でもいちご作りの名人がいる

という事を聞きつけ

 

私は居ても立っても居られず

連絡もせずに勝手にその人のいちごハウスに伺いました。 

 

全く先が見えなかった中で
私が目にしたのは、

ハウスいっぱいに実るいちごの光景でした。

 

その光景を目にして
「新潟でもいちごって作れるんだな」

という希望を持つ事ができました。

  

それから名人の所に、片道1時間かけて
何度も足を運ぶようになりましたが、
いちご作りはある意味職人の世界と一緒で、

目で見て覚えろという世界です。

 

今だったらスマホで撮影もできるし
you tubeで学べるかもしれませんが、

当時そんな物は無かったので

私はひたすらメモを取り、
テープレコーダーを忍ばせて録音し、

家や車の中で名人の話を何度も復習しました。

 

とはいっても私のいちごに対しての知識が
当時は全く追いついていなかったので、

話を聞いても全ては理解ができないという状態でしたが

 

そういう過程を経て、

ついに初めてのいちごが完成を迎えます。

 

今思い返してもどうやって完成したかうる覚えというか

「なんとかできた」という感じで

「作ったぞ」という実感はありませんでした。

越後姫の衝撃

ここだけの話ですが
実は私は自分で作って食べるまで

越後姫を食べた事がありませんでした。

 

例えるならラーメンは食べた事あるけど
豚骨ラーメンを食べた事ない人が

豚骨ラーメン屋を始めるみたいな感じでしょうか。

その味も知らないのにやるって

ちょっと無謀ですよね。

 

自分の子供にこの話をした時に
「もし完成した時、越後姫をマズイと思ってたらどうしてたの?」

と言われた事がありますが


不思議な事にそういう事は全く考えなかったんです。
作ったからには必ず美味しい物ができるだろうと

根拠のない自信があったんですね。 

 

今思うと本当に無謀で恐ろしい事ですが

夢中だったからこそできたんですよね

とにもかくにもようやく

越後姫の完成に漕ぎ着きました。

 

 

はじめて越後姫を食べた時の記憶はうっすらですが
まあまあ美味しいいちごができたなという感じでした。

 

しかし家族の反応が全く違いました。

「なんだこのいちごは!?」

「これ本当にお父さんが作ったやつ?

めちゃくちゃ美味しいんだけど」


「買ったのすっぱいから、いちごあんまり好きじゃなかったけど

これは何個でも食べれる」

 というような事を口々に言うのです。

 

私もはじめこそ確信は持てませんでしたが、
徐々に支持をしてくれるお客様が増えていき

確信が深まっていきました。

 

毎年、全て順調というわけではありません。 

いちごはたいへんデリケートな作物です。
環境が少し変わるだけでも、その品質や、

収穫量などに、大きな影響が及んでしまいます。

そして新潟は雪が降るので、大雪が降ると雪の重みなどでハウスが倒壊してしまうかもしれないという、他県にはないリスクがあります。

 

 今までに

 ・雪や強風でハウスが破れたり倒壊する自然災害

・受粉のためのミツバチが思うように飛んでくれず形の良いいちごができない

・いちごが病気になり、ハウスの3分の1のいちごを廃棄

・去年と同じ方法で取り組んでるのに、今年は全くうまく実らない…… 

 

など、挙げたらキリがない位たくさん問題が起きましたし、今でも毎年何らかの問題が起きます。

 

その都度どうにか対処した結果が
今は知恵や技術になっていますが、

いちご作りを始めて3、4年目頃が特に辛かったです。

 

たくさん穫れるようになったはいいけど、
夜中まで作業が終わらず、寝る暇もなくなり

その割に収入も上がらないという状況が続きました。

 

肉体的にも精神的にも追い詰められ
「一体何のためにやってるんだろう...」

と、この時ばかりは辞めたい気持ちになりましたね。

 

でも私は1人じゃなかったんですよね。

 
私がいちご作りを始めた頃、偶然妻も会社をリストラとなり

それから何年かは妻と二人三脚でいちご作りを行ってきました。 

きっと1人じゃ乗り越えられなかった事も、

妻と二人だったからこそ乗り越える事ができたと思います。

 

そして年を追う毎に周りに協力してくれる方々も増え、口コミやインターネットの普及などでお客さんも段々と増えていきました。

そもそもいちごの直売や、いちご狩りを始めたきっかけも、周りの方々の助言や協力によるものだったりします。

 

たった2棟のビニールハウスと、オンボロの作業所から始まった斉藤いちご農園は、

やがて株式会社斉藤いちご園となりました。

ハウスも9棟になり、会社にも仲間が増え、

たくさんのいちごを届けられるようになりました。

 

これは地域の方々をはじめ
本当にたくさんの方々にご愛顧いただいたおかげです。

心より感謝申し上げます。

  

私がいちごを好きなのは今も昔も変わりません。
いちごと深く関わるようになり、

むしろ更にいちごの事が好きになりました。

 

おいしくて幸せな気持ちになれる越後姫を

これからも愛情込めてお届けしていきますので

斉藤いちご園をどうぞよろしくお願いいたします。

 

私たちの思いの詰まったいちごを、お召し上がりください。